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本②

民藝

少し雪が降ったりした3月でしたね、もう少しで4月。

なんという早さでしょうか、ついて行くのがやっとです。

丁寧に仕事を進めております!

 

さて、ごく最近購入した本です。

たまたま見かけてその場で購入しました。

 

民藝

 

柳宗悦による新潟日報への寄稿、1951年の事。民家への敬意と解体される民家と農地法との関連性。そして大きな懸念。新潟県がとても誉められていて嬉しくなりました。詳しい内容は伏せますが柳宗悦の警鐘通りになっているように感じます。今から70数年前の内容とは思えないほど言い得ています。全国行脚し民藝を広めた中心人物ですが新潟県に向けられた眼差しを具体的に感じられて貴重な内容です。何だか嬉しかった。

 

また、住まいと暮らしと題して寄せられたお話が本当に素晴らしく、以前も書いた名言に続きこの本にも柳宗悦の名言が。

 

「指スヤ都 見シヤ茲(ここ)ヲ」 

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指すは目指す意で、都を求めて遠い旅へ出ることである。昔であったら、長安に通じる大道に出たいとか、ローマは何処かと尋ねる心である。

考えると、人間の一生は『神の都』を尋ねるその旅だともいえる。だがこんな心に彷徨う間は、自分と都とは、いつも千万里の距りがあろう。だから、『浄土は千万億土の彼方』とも形容された。だが、都は遠い彼岸ではなかったのだ。声があって、『此処を見たか』というのである。はたと気づけば、即今の此処をおいて、何所に都があろう。心の旅とは、『此処から此処へ』であって、『此処から彼処へ』ではないのだ。妄想がそんな距りを、いつも作為しているに過ぎまい。だから、経にも『此処を去る遠からず』と記してある。
柳 宗悦『南無阿弥陀仏』より抜粋

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大量生産や規格化された『買い物』になってしまった家を今一度、冷静に立ち止まり本来『家は造る』もの。巷の流行を追い求め過ぎず自分の足元を、今いるこの場を感じ取り生活に合わせて造るものに立ち帰る時が来ているとのお話しでした。素晴らしい考察で何かに触れたような清々しい気持ちになりました!民藝が好きだからとか関係なく真理のようなお話にモノ造りの今この時の真髄を言い当てられたような得をした気持ちになれた本のご紹介でした。

 

分譲地への私の心持ちと通ずるものを感じ、遠くから応援されたようなそんな気持ちになれた貴重な一冊です。

 

100年続く工務店を目指して

SW.design yaezawa

カップ&ソーサー:砥部焼 赤線三つ葉

たまにはマグカップ以外でコーヒーを。